百周年レポート

研究第一、実学尊重、門戸開放の校風のもと、多数の留学生も机を並べる学内では、それぞれに医学・医療・福祉への強い意志を持った学生や研究生が、第一線の「学び」を実践しています。長い歴史をもち、研究と医学教育の最前線である本学医学部の、過去、現在、そして未来についてレポートします。

医学部開設百周年記念ホール −星陵オーディトリアム− 星陵オーディトリアムに上がる階段前にて

星陵地区の「顔」となる建物を

山本 雅之|東北大学東北メディカル・メガバンク機構長/第36代医学系研究科長

2008年、菅村先生が研究科長の最後の年に、学生会館をつくろうという話を最初にされたのが事の始まりです。具体的な計画ではなかったのですが、医学部同窓会の艮陵会館は老朽化やシンポジウムに対応したホール機能を満たしていないこともあり、他大学と比べるとどうしても見劣りしてしまう、だから他大学に負けない立派なものをつくろうというお話でした。菅村先生が建設のための基金創設を提案されて、海野教授らと協力してしっかりと組織化し建設へ向けて動き出したのは、2009年に私が研究科長になってからです。

星陵キャンパス全体の「顔」

当初、建設予定地は大学病院前の図書館側、今は駐車場になっている所でした。病院の敷地だったのですが、ここに学生会館があれば星陵キャンパス全体の「顔」となるのではないかと考えたのです。研究科で整備費用を負担して、設計案を作成し、かなり煮詰ってきていました。建物の形が北斗七星マークになっており、ホールに加え、食堂やレストランも計画していました。そうすれば病院の利用者や地域の人にも気軽に訪れやすくなり、星陵地区を代表する施設として機能するのではと考えたからです。

左/初期案 右/第二案 左/第一案 右/第二案

木を保存するために建物の形状を横長の扇型へ

基金を始めて、2008年7月から2010年10月の時点で、資金はかなり集まってきていました。しかし、そうこうしていると病院側からこの土地を利用する計画が出てきて、建設予定地の変更を迫られました。それで、色々と検討した結果、1号館の前に1号館と連結させる形で立てれば使い勝手もよいということで、1号館の前に場所を変更しました。この提案は、模型がしばらく玄関においてあったのでご存知の方も多いと思いますが、実は第二番目の案だったのです。打合せを繰り返し、2010年の10月、11月は毎週のように打合せていました。最初は第一案を引き継いで食堂をつくろうと考えていたのですが、食堂は運営・管理が大変だろうということで、ケータリングでの立食パーティー、パネル展示や同窓会の展示・陳列を行う多目的ホールに落ち着きました。1号館の前の森が損なわれるのではといったご心配が少なからずあったのですが、実際は、森の中の遊歩道の脇に高い壁をつくって森の機能は十分に守って、今の駐車場になっている台の上の方だけ使い、木を保存するために建物の形状を横長の扇型へと変更しました。設計事務所が入って、非常にきれいな建物が設計され、かなり盛り上がって、着々と準備が進みました。模型を作って検討を繰り返し、最終的に落ち着いてこの計画で作ろうとなり契約の話まで出そうになっていました。それで何が起きたかというと東日本大震災です。

左/記念樹であるヒポクラテスの木を保存するためホールは扇状に 右/オーディトリアムに上がる階段前にて 左/ホールは木々を活かした形状に 右/星陵オーディトリアムにて

災害復旧・復興が優先

資金の見積もりもできていましたが、震災復旧・復興が優先となりました。震災から1年たって、ようやく医学部6号館とメディカル・メガバンク棟の建設、スキルスラボ、艮陵会館の大改修がありました。片平・青葉山での星陵会館にあたる学生食堂の入った建物の改修がかなり進み、井上総長の最後の年にやっと、星陵会館についても改修してよろしいという事になりました。この様な事情でオーディトリアムについてはだんだん後回しになってしまいました。ここまでが私が研究科長の時の経緯です。

山本 雅之

東北大学東北メディカル・メガバンク機構長。ノースウェスタン大学博士研究員、東北大学講師、筑波大学教授を経て、2007年より医学系研究科教授。2008年〜2012年まで医学系研究科長。2012年より現職。専門は医化学、酵素生物学。

山本 雅之
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