百周年レポート

研究第一、実学尊重、門戸開放の校風のもと、多数の留学生も机を並べる学内では、それぞれに医学・医療・福祉への強い意志を持った学生や研究生が、第一線の「学び」を実践しています。長い歴史をもち、研究と医学教育の最前線である本学医学部の、過去、現在、そして未来についてレポートします。

総長時代に医学部に思ったこと

吉本 高志 | 第33代医学系研究科長・医学部長

医学部開設百周年で思うこと

 私が、病院長、医学部長をへて、第十九代東北大学総長として在籍しておりましたのは平成14年、2002年の11月からの4年間でありました。早いもので約10年が経ちます。10年の歳月は、近年の大学の流れの中ではあまりにも大きいものがあります。特に、東日本大震災以降、東北大学は一変したと強く感じております。従いまして、本日の、「医学部開設から百年の歩み」の主題に沿ったお話はできないかもしれませんが、私が総長時代に医学部に対して思っていたことを少しだけ述べたいと思います。
 最初に、百周年ですので、2点お話したいと思います。我が国の、旧帝国大学の学長は「総長」と呼ばれておりますが、文科省からの辞令には「学長」と書かれております。 明治四十年、1907年、3番目の東北帝国大学が発足しましたが、当時、帝国大学に置かれた現在の学部、研究科は、大学と呼称され、それぞれに学長が任命されておりました。発足と同時に、農科大学、次に理科大学、そして3番目に大正4年、1915年に医学専門部が東北医科大学となりました。帝国大学の学長は、この違いを明らかにするためにも総長と呼ばれました。医科大学長は、時の流れとともに、医学部長、医学研究科長となり、下瀬川先生が、山形仲藝初代学長より、まさに百年目の現職となるわけであります。
 2点目は、魯迅です。近代中国の精神的支柱と言われる魯迅は、医師を志し、明治37年1904年に、医学部の前身の一つの仙台医学専門学校に入学しました。魯迅は、解剖学の藤野厳九郎教授の、学問に対する姿勢や、親身に指導する態度に大きな感銘を受け、後日著した、「藤野先生」は、現代中国でも広く読まれており、日中友好の象徴的な作品となっておりました。2004年、魯迅留学百周年を記念して東北大学の学術発展に顕著な功績のあった、中国の研究者を表彰しました。第一回の魯迅賞は清華大学の顧学長でした。表彰式は、片平に保存されている医専門学校の階段教室で、ご遺族も中国から出席され行われました。これを機会に、中国の友人とも親しく会うことができ、彼らは一様に魯迅を、そして当時の仙台医学専学校を誇りにしておりましたので、私は医学部出身で大変尊敬を受けました。なお、2回目以降は藤野賞として現在も続いております。

総長として国立大学法人化の変革期へ

 さて、私が総長に就任した時期は、国立大学が法人化へ向けての変革期でありました。色々なことがありましたが、国立大学のすべての学長が東京大学に集まり、事の収集にはいかなる行動をとるべきか等議論をしたこと、国立大学法人法が成立した直後、大臣を始め文科省の幹部と旧七大学学長との会食での会話等、大変思い出が多くあります。ちなみに東京大学総長は、東大法学部出身の佐々木毅先生で私と秋田高校の同期生でした。
 私の総長就任時、大きな3つの目標がありました。一番は、無論、明治の帝国大学令公布そして、敗戦後の新制大学に次ぐ第3番目の大学改革と位置づけられた国立大学法人化に向けての東北大学の円滑な移行でした。更には、青葉山移転が県との交渉で急速に進み、ゴルフ場を大学が取得することができ、その跡地に産学官連携の一大施設をスタートさせること、同時に、来るべく東北大学創立百周年記念へのさまざまな準備でした。
 国立大学法人として6年間の中期目標を設定し、その実現に向けて年度ごとの中期計画を作成し、外部組織である国立大学法人評価委員会による、計画の達成度の評価を受け、その結果が次の資源配分に用いられる。これまで国立大学が全く経験したことのない一連の作業が始まりました。

世界最高水準の研究・教育拠点を目指して

 東北大学にとりまして、法人化は、開学以来の「研究第一主義」「門戸開放」「実学尊重」の基本理念を元に、全学部、全研究所のさらなる活性化のための目標と計画の位置づけでした。そして発足に当たり「世界最高水準の研究・教育拠点」を目指すと宣言したのであります。
 百年に至る歴史の中で多くの関係者の大変なご努力により、東北大学の一部の分野はまさに世界のトップにありました。世界の大学・研究機関の研究力を測る指標として最も良く利用されている、論文被引用数、「ISI, Essential Science Indicator」において、当時の東北大学はほぼ一貫して、全22分野中、材料科学は世界1位か2位、物理学と化学は世界20位以内にありました。一方、この世界レベルでの評価に関して、22分野には、生化学、臨床医学、免疫学、遺伝学、神経科学等の生命科学に関連した、数分野がありましたが、そのランクについて詳細はここでは申し上げませんが、材料科学等々の分野とは、歴然とした差があったわけでございます。
 これは、東北大学の創立以来の学風、さらにはある時期の国家的政策の影響もあると思います。そして、ある面から考えますと、一東北大学だけの問題としては、とらえ難い事も確かです。しかし、総長の職責で片平におります時、医学部を中心とした「生命科学」には、静かに、強い思いがありました。法人化で宣言した、東北大学全体が「世界最高水準の研究・研究拠点」に発展するためには、既に、世界ランキングで上位の分野に関しては更なる充実を求める事を最優先としつつも、同時に、ライフサイエンスの更なる振興を図る事でした。
 ノーベル賞受賞の日本人科学者を東北大学に招聘し、医学系大学院の総長特任教授として破格の配慮をしました。しかし、成果に自信が持てないことなどで実現はしませんでした。東北大学の工学は、当時、世界50位、日本では2位にランクされておりました。その工学部と医学部との連携はCEO等により、既に実績がありましたが、それを基に、科学技術振興調整費、Super CEO で5年間にわたり大変大きな予算を獲得することができ、先進医工学研究機構を立ち上げました。そして、その延長線上に、紆余曲折がありましたが、我が国初の医工学研究科の設立がありました。また、医学部、歯学部、薬学部、加齢研による「創生応用医学研究センター」の設立も懐かしい思い出です。このセンターは、当時としては極めて異例の、生命科学の各学部を横断した構成でありました。そして、これらの実現の気運も一因となり、東北大学病院が組織的に完成したと思っております。これらの実現には、限られた時間に多くの方々の、大変なご努力がありました。個人名はでは挙げませんが、心から感謝をいたしました。
 医学部百周年記念式典は次の五十年、次の百年に向けて極めて重要な意議があります。「歴史と伝統に大いなる畏敬の念をもちつつ、それと同時に、常に大きな改革へのたゆまざる努力」が肝要です。本日ご出席の現役の皆様には現状を超えて是非このことを心に留めて頂ければ幸いであります。
 最後に、本日の記念式典に努力された、下瀬川医学部長、研究科長を始め、関係された多くの方々に、敬意を表したいと思います。
 御清聴ありがとうございました。

吉本 高志

第33代医学系研究科長・医学部長。第19代東北大学総長。東北大学名誉教授。専門は脳神経外科学。

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