艮陵新聞特集 留学体験記⑴

世界を目指せ

腎・高血圧・内分泌学分野
伊藤 貞嘉 教授
留学先:Henry Ford Hospital

教授からの通達

私は卒前最終講義で「世界を目指せ」と題して講義をしている。外国での生活は人を大きくしてくれる。
初期研修を終え、第二内科に入局して3ヵ月後、当時筆頭講師の阿部圭志先生(前教授)から突然、「伊藤君、君には来年デトロイトあるヘンリーフォード病院のOscar Carreteroのところに行ってもらうことになる」と言い渡されたのが全ての始まりだった。

恩師の便り

留学先でのプロジェクトは遠位尿細管にある緻密斑が本当にレニン分泌の調節をしているかどうか検証するものであった。当時、緻密斑は食塩摂取を感知してレニン分泌を調節すると提唱されていたが、40年以上も仮説のままであった。私はmicrodissectionで輸入細動脈単独と輸入細動脈に緻密斑が付着している2種類の標本を単離し、そこから分泌される極微量のレニンを測定し、両者に差が得られれば、緻密斑がレニン分泌に関与する決定的な証拠が得られると考えた。しかし、単離の方法から測定法まで全て自分で開発する必要があった。当然、なかなか結果が出ない。しかも、デトロイトは危険な町で、病院の敷地内のレジデントアパートに住んでいた私と妻は、周辺を歩くこともできない状態であった。ところが、三ヶ月ほどたったある日、中学時代の恩師中野松子先生から一通の手紙が届いた。そこには「あなた達、大変な状況で頑張っていると聞きました。これから毎日手紙で地元や実家の様子を知らせましょう」と書いてあり、その後2年半、毎日欠かさず便りが届いた。手紙の代わりに河北新報が届くこともあった。当時デトロイトでは日本語の活字を目にすることは少なく、毎日、この便りに励まされて研究を続け、ついに、2年後に緻密斑仮説を実証することが出来た。帰国が近づいた時期にCarretero先生に、緻密斑を含む尿細管を微小灌流して尿細管液のNaCl濃度の変化の効果を検討する方法を確立すれば、さらに研究が進展するので、次の人にさせたらいいと話したところ、給料も上げ、実験装置も全て購入するから引き続き研究するように要請された。しかし、里心がつき、また、臨床に戻るため2年半で帰国した。

2度目のアメリカ

帰国後、地域病院の支援をしながらも研究をしていたが、Dr. Carreteroから再び来るように何度も、しかも、いつも深夜に電話があった。吉永教授と阿部先生に相談し、1年半だけ渡米することにした。私の計算では1年半あれば十分だった。実際、1987年6月に渡米し、8月には全ての手法を習得し、実験を開始し始めていた。ところが、9月のScience誌に私がやろうとしていた研究が報告された。考えても見れば、私の論文を見た研究者は当然考えることなので、2年半もたてば先を越されるのは当然の結末であった。そこで、緻密斑のもう一つの機能であるtubuloglomerular feedbackを証明する研究に取り組んだ。この機序では緻密斑が尿細管液のNaCl濃度を感知して輸入細動脈の血管抵抗を調節すると考えられており、実証のためには、緻密斑と輸入細動脈を同時に微小灌流し、可視化する必要があった。細動脈の灌流は尿細管の灌流よりはるかに難しく、器具から開発する必要があった。多くの困難を伴ったが、同時に多くの人に助けて頂いて、2年後成功にこぎつけ、多くの反響を呼び、ハーバード大学やカルフォルニア大学サンディエゴ校などに誘われた。その後、NIHなどから多額の研究費を獲得し、自分の研究室を作り、結局8年間の滞在になった。研究も研究費も順調であったが、様々な事情から1995年に帰国することに決めた。自宅を売却するなど引越しの準備をしている最中に阪神淡路大震災をテレビで見て驚愕した。また、帰国した3月20日は地下鉄サリン事件の起こった日であったが、我々は成田から上野へ京成電鉄で移動したので幸いその混乱は免れた。

世界中にいるたくさんの仲間

海外留学は研究成果以上に、世界の一流と接し、その考え方や人生観などに直接触れることができる機会、また、文化の違いや社会常識の違いを肌で感じることができる良い機会である。私は幸い多くの素晴らしい人と出会うことができ、海外に多くの仲間を作り、今でも増え続けている。特に、Lesch-Nyhan症候群のLesch先生は内科のCharimanで、私を可愛がってくれ、時に年間3万ドルに及ぶ特別昇給もしてくれた。一方、研究は真剣勝負の戦いで、それは熾烈そのものである。そのような環境に身をおくことも、良い経験になり、これもまた尊敬できる仲間づくりになる。また、デトロイトの私の研究室にフェローとして研究していた有馬秀二とLuis Juncos君はそれぞれ、近畿大学とミシシッピ大学で腎臓内科のChairmanとして活躍している。なお、Luisはオリンピック水泳競技のアルゼンチン代表をしていた。会うたびに人懐っこい笑顔で近づいてきて、ぶ厚い胸板で窒息するほど抱きしめられる。このような多くの個性に富む友人が世界中にいることは、ただ単に研究のみならず、人生全体を豊かにしてくれている。

後日談

私が教授になった後、阿部圭志先生に、何故入局間もない僕に白羽の矢を立てたのかを聞いてみた。理由は2だそうである。①自分が教え込んで型を作ってしまうよりも、出来るだけ若いうちに海外留学させて、世界の一流を肌身で感じさせるのが、苦労もするだろうが、大きく伸びるのに必要だと感じていた。②伊藤君は何を言ってもダメだと断らない、まず、やってみることから始めるから。すなわち、「伊藤君なら危ないデトロイトでも行くだろう」と言うことなのだろうか。なお、デトロイトの名誉のために、どの都市でもあるように確かに市内は危険なところはあるが、オペラやコンサートなど楽しむ機会も多く、また、郊外は大変美しい。多くの日本人が郊外に住み、楽しんでいた。我々も2度目の滞在ではフォード自動車会社の社長が住む美しくて安全なグロスポイント地区に住んだ。近くのセント・クレア湖にボートが浮かび、釣りなどを楽しむことができた。ヘンリーフォード病院も素晴らしい病院で、臨床・研究共に優れた成果を上げている。日本人の留学生も常時数人おり、正月には餅つきなどをして一緒に楽しんだ。一度は留学もいいものである。特に、柔軟性に富む若いうちがいい。

(艮陵新聞275号、2012年1月17日発行)

伊藤貞嘉(いとうさだよし)

1979年
東北大学医学部卒業
1979年
東北大学医学部第二内科入局
1982年
米国ミシガン州ヘンリーフォード病院内科高血圧研究部門Research Fellow
1987年
米国ミシガン州ヘンリーフォード病院内科高血圧研究部門Senior Staff
1995年
東北大学医学部第二内科講師
1997年
東北大学医学部第二内科教授
2002年~
治験センター長(兼務)・血液浄化療法部長(兼務)
2004年
東北大学大学院医学系研究科内科病態学講座腎・高血圧・内分泌学分野教授
2004年
国立大学法人東北大学総長特任補佐
2008年
副研究科長、副学部長

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