東北大と出会って9年

分子病態治療学分野
宮田 敏男 教授

基礎から治験まで

 私は1986年に名古屋大学医学部を卒業し、その後大阪大学、名古屋大学、東海大学など複数の大学に在職し、臨床の傍ら、主に腎臓疾患の基礎研究に携わりました。
2007年に、本学創生応用医学研究センターに着任してから、研究の方向性を大きく「橋渡し研究」に変え、現在は医薬品開発に注力しています。理由は、腎臓病は治療のオプションが極めて少なく(多くが降圧薬などの適応拡大)、待っていても治療薬が全く出てこないからです。まさか創薬から医師主導治験まで自分でやることになろうとは思わなかったのですが(笑)、多くの皆様のご支援と気概で何とか頑張っております。東北大学で実施した未承認薬医師主導治験も10件に至りました。
 私が研究を始めた30年ぐらい前は、分子生物学の黎明期で、頑張れば(そして運が良ければ)、新しい遺伝子を発見する機会にも恵まれた時代でした。当時の医学部での研究は、疾患関連遺伝子やタンパク質を同定し、細胞、動物モデルや患者検体で検討することが主体でした。その当時、自ら医薬品を開発し、治療コンセプトをヒトで検証することまでは予想もしていませんでした。しかし、今ではそれなりに進められる環境「橋渡し拠点、日本医療研究開発機構(AMED)など」も揃いつつあり、時代も変わったと感じております。
 研究において、個々の研究者の発想や研鑽の重要性は言うまでもありませんが、橋渡し研究と共に、研究の進め方も変遷してきたように感じます。橋渡し研究は個人レベルで対応できるものではなく、多くの研究者の学際・融合研究の成果として位置づけられ、研究費用や期間も大規模です。ですからプロジェクトとして捉え、マネージメントしなくてはいけなくなりました。ただし、実践してみて、強く思うことがあります。それは、大学の橋渡し研究は決して企業のように事業ではなく、サイエンスという軸足や姿勢がブレてはいけないということです。出口も重要ですが、サイエンスをしっかりしなければ(また同時に愉しまなければ)いけません。

懐深く垣根低く

 これまで私立大学を含めて複数の大学に在職して、色々な大学の運営を中から見てきました。年齢、役職、仕事の内容などが違っているので一概には言えませんが、それぞれの大学で雰囲気も異なっていたと感じます。
 本学の魅力は、懐が深いことと研究者同士の垣根が低いことだと思います。2010年から5年間、創生応用医学研究センター長として、改組に取り組みました。縦割りの講座単位ではなく、柔軟な横断的組織、異分野融合、学際領域研究を加速する体制などを掲げましたが、学部内外の多くの研究者の方々のご理解とご協力のお陰で、構想から実現まで短期間で実行できたのは、本学だったからだと思います。2012年から本学研究推進本部の運営にも参加させていただいておりますが、いざとなれば大局的な視点から、多くの部局がまとまり、大きな目標に向かってプロジェクトが進んでいるのを目の当たりにして参りました。昨年からAMEDの活動にも参加していますが、本学はAMED事業の幾つかの中核事業に間違いなく貢献しており誇りに感じます。
 今後、各大学の特色や個性が今以上に問われる中で、本学の大らかで、包容力があり、ひたむきな精神を維持しながら、発展して頂きたいと思います。

さらなる医薬品開発

 大学ならではのユニークな医薬品開発にも挑戦し始めており、動物レベルでは手応えも感じています。こんな医薬品があったらいいな、作ってみたいと自分で思うからです。
 例えば、細胞や個体の老化を制御する医薬品、ストレス社会で生きていくための医薬品、概日リズムを調整し健全な睡眠や生活リズムを得るための医薬品などは、製薬企業は決して取り組まないようなテーマです。勿論、サイエンスが鍵となることは言うまでもありません。

(2017.1)

宮田 敏男

1986年
名古屋大学医学部卒業
1991年
大阪大学微生物病研究所 難治疾患バイオ分析部門助手
1994年
名古屋大学医学部附属病院分院内科講師
2003年
東海大学総合医学研究所教授
2005年
東海大学医学部腎・代謝内科学教授、東海大学総合医学研究所 所長
2007年
東北大学大学院医学系研究科附属創生応用医学研究センター 分子病態治療学分野 教授
2010年
東北大学大学院医学系研究科附属創生応用医学研究センター長

※公開の記事は、本人と艮陵新聞の許可を得て転載をしております。
また、所属や職名、略歴などは、記事発表当時のものとなっております。

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