新任教授インタビュー2016

良い医師になるための寄り道としての基礎研究

呼吸器外科学分野 教授 岡田 克典 先生

ご専門分野、ご研究の内容をお話しいただけないでしょうか?

呼吸器外科学分野は、診療がベースの分野です。主な対象臓器は肺で、肺と肺の間の縦隔という部分にできた腫瘍なども扱います。ざっくり言えば、扱う疾患の8割ぐらいが肺癌と転移性肺腫瘍で、肺化膿症、肺アスペルギルス症などの感染性疾患、縦隔腫瘍、胸壁腫瘍なども診療の対象となります。また、東北大学は全国に9施設ある肺移植実施施設の一つに認定されており、肺移植も行っています。

私たちの分野は元々肺結核の外科的治療からはじまりました。というのも、戦後数年の間は、日本の死因の第一位は結核だったからです。当時の肺結核に対する主たる術式は胸郭成形術です。肺結核では、空洞性病変を形成する事が多く、それが結核菌の温床となってしまうため、肋骨を切除して皮膚ごと圧迫して空洞を潰してしまう手術を行っていた訳です。胸郭成形術は戦後しばらくの間さかんに行われたようですが、結核は次第に薬で治るようになって、一方で肺がんが増えてきて、肺がんの外科治療の方に重点が移ってきていました。今では当科で行っている手術の8割くらいは肺がんなどに対する肺切除術です。また、当分野の特徴の一つは肺移植も行っている事です。最近では、月1例ぐらいは肺移植があります。診療でも研究でも、肺がんと肺移植が私たちの主な対象となります。

岡田 克典 先生インタビューの様子

研究者を目指したきっかけ、大学に残ろうと決断された理由は何でしょうか?

呼吸器外科に進んだのは、私が学生の頃、肺がんが胃癌を抜いてがんの死因の第一位になると言われている時代だったので、肺がんの診療と研究やりたいと思ったからです。実際、肺がんは平成に入ってすぐ日本のがん死亡の第一位となり現在もそのまま第一です。ただ、入局してみると肺移植の研究室もあって、私の前任の近藤先生が医学部水泳部の先輩だった事もあり、肺移植の研究をやってみないかと誘っていただきました。当時は、肺移植が何なのか全くわかりませんでしたが、研究は肺移植、診療は肺がんを中心に行う、ということで始めました。日本で臨床肺移植ができるようになるという事は、その頃は全然想像できませんでした。肺移植は、世界的にも最も難しい臓器移植とされており、1980年以前は、40例ぐらいの報告があったものの、ほとんどの症例が移植後1カ月以内に亡くなってしまっていました。他の臓器移植はそれなりの成績が出ているものもあったのですが、肺移植は医療としては成り立たないのではないかと言われていたのです。その後、免疫抑制剤の進歩などにより世界初の長期生存例が1983年に報告されました。私の卒業が1988年ですので、当時は世界でも少数しか成功例がなくて、肺移植が医療として定着するどうかかわからない時代でした。

肺移植はどこが難しかったのでしょうか?

肺移植の成績が悪かった理由の一つは、気管支吻合部の縫合不全が多かったことです。気管支は、腸管などに比べて創傷治癒が遅延しやすい組織なのです。それから、拒絶反応の頻度が高い事も理由の一つです。肺はリンパ組織が多くて免疫反応が強く起こる臓器だと考えられています。現在でも肝移植とか心移植に比べると、免疫抑制の量を多くしないと拒絶反応が起こってしまいます。一方で、感染症も発症しやすい臓器です。気道を介して、常に外界と接しているためです。私は1994年から1997年まで米国に留学していましたが、1997年に臓器移植法が施行されて日本でも脳死下の臓器提供が可能になりました。留学から帰ってきた頃に、日本でも臨床肺移植をやるということになって、肺移植の研究室に所属していた私は、その準備を行う一員として大学に残る事になりました。

先生はずっと東北大におられたのでしょうか?

ほとんどそうです。私が入局した頃は、厚生病院が当時の抗酸菌病研究所の附属病院としての機能を果たしていました。抗酸菌病研究所も独自の付属病院を持っていました。ここ(教授室)は抗酸菌病研究所附属病院の手術室だったところです。ですので、私は、ほとんど厚生病院と抗酸菌病研究所付属病院で診療していました。抗酸菌病研究所は1993年に加齢医学研究所に改祖され、その後厚生病院は独立しました。3年間留学でロサンゼルスに行き、帰ってきた1997年以降はずっと東北大学で研究と診療をしてきました。2000年になると、加齢研付属病院と医学部付属病院が統合して東北大学病院となりました。

海外留学の話をお聞かせください。

私の留学先は、ロサンゼルスのシーダース・サイナイ・メディカルセンターっていう、ビバリーヒルズのそばにある大きな病院で、研究所も多数併設されていました。その一角で肺移植の基礎研究をしていました。臨床は見学だけでしたけど、そこで肺移植手術と診療システムをいろいろ見ることが出来たのは貴重な経験になりました。研究も分業が進んでいて、私はラットの肺移植をして、分子生物学的なところは別なラボに検体わたすとやってくれて、非常にスムーズに研究は進みました。毎週ラボミーティングを行って、基礎の人たちとの交流もさかんで、楽しかったですね。

ラット肺移植モデルでは左の片肺移植を行います。左はラットの場合は一葉です。気管支と肺動脈と肺静脈を切断して、顕微鏡見ながらドナーの各組織と縫い合わせます。いずれも爪楊枝ほどの太さですので、高度の技術を要する手術です。ラットモデルのいいところは、inbred strainといって、兄弟姉妹間の交配を繰り返す事で遺伝的にほぼ均一な系をつくれる事です。拒絶反応の研究をする際に、ドナー、レシピエントに決まった系のラットを用いると、何日でどれくらいの拒絶反応が起こるかがあらかじめわかります。例えば、免疫抑制剤を試すにしても、いろんな治療を試すにしても、研究の計画が組みやすいし評価もしやすくデータが安定する訳です。私は、ラット肺移植モデルを用いて、主に拒絶反応制御に関わる研究と虚血・再灌流傷害のメカニズムに関わる研究を行っていました。

岡田 克典 先生インタビューの様子

これまでで1番嬉しかったエピソードを教えてください。

研究では残念ながら大発見というようなものはありません。嬉しかったエピソードの一つは、やはり肺移植の1例目でしょうか。東北大の一例目は、日本の脳死肺移植の第一例目となりました。私の前々任の藤村教授が、退官の3日前に執刀されました。その日にドナーから臓器提供があって、ずっと待っていた患者さんに移植ができました。私は手術を担当した訳ではなくて、助手になったばっかりでしたので、患者さんの管理とか、インフォームドコンセントとか、臓器ネットワークへの登録とかそういう事を担当していました。無事手術が終わったときには本当にほっとしました。術後管理も大変だったですけど、元気になって退院していただく事ができました。嬉しいというより、ほっとしたという感じでした。

これは大変だったというエピソードはあるでしょうか?

やはり肺移植のことになりますけど、今まで94例の肺移植を行った中で、手術時間が24時間ぐらいになったケースが3例ありました。移植手術が長くかかる方は、前に何かの手術をやっていた方です。癒着が強いため、癒着剥離に時間がかかって、人工心肺時間が長くなるんです。そうすると出血が止まらなくなります。人工心肺を長く回していると血小板や凝固因子をどんどん喪失していきますから、止血にものすごく時間がかかったりする訳です。癒着がある事は手術前に予想はできているので、長くかかることは覚悟の上ではあります。もちろんずっと24時間同じ術者が手術している訳ではなくて、途中で交代してソファーで仮眠をとって、1時間経ったらまた手術に入ってという事を繰り返します。幸いな事に、この3例の患者さんは、皆さん手術を乗り切って元気にされています。

医学研究はどのようなところが魅力だとお考えですか?

同級生で基礎に行った人もいますけど、たぶん数%ぐらいで、ほとんどの人は臨床医になります。臨床医の中にも研究が好きという人はいますけれども、外科医の大部分は、研究よりも手術が好きという人たちだと思います。それはそれで良い訳ですけど、私は外科医であっても、研究もどこかで一度はやった方が長期的には優れた外科医になれるのではないかと思っています。研究を経験する事で、精緻な観察眼、論理的な思考などが養われると思うからです。基礎研究については、特に最近感じている事があります。それは、基礎の分野で行われている研究と、我々の教室で行う基礎研究のレベルがどんどん開いてしまっているのでないかという事です。これだけ医学・科学が進歩してきて、いろいろなツールも開発されて、研究のレベルもどんどん上がってきています。研究を専門にしている先生方と私たち臨床家との基礎研究のレベルが開いていく事は当然と言えば当然なのだろうと思います。ですから、若い人たちには基礎に出てやるのがいいんだよと言って、最近、何人か基礎研究室で研究をやらせていただくようにしています。共同研究の形のこともあるし、まったくその基礎の分野の研究テーマで研究が行われる事もあります。基礎研究を行う事で、先に述べたように論理的な思考などが身につき、そこで学んだことは必ず臨床にも役に立つと思うのです。臨床では、経験や勘も大事ですけど、当然の事ながら論理的な思考を行う、エビデンスに基づいた治療を行うという事も大切です。このような意味から、若い人は基礎研究の機会を積極的に持つべきであり、特に先端的な医療にチャレンジしていきたい、その分野のリーダーとして活躍したいと思っている人には、基礎研究にも携わってほしいと思っています。

研究でも臨床でも、日頃から心がけていることというのは何かありますか?

あまり面白い話はありませんが、私自身は、とにかく睡眠不足にならないように心がけています。寝不足は本当に苦手で、仕事の能率が下がってしまいます。徹夜で肺移植を行った後などは3日間ぐらい頭がボーとしています。手術で寝不足になるのは本望ですけど、私はアルコールを飲み過ぎると眠りが浅くなってダメなので最近は気をつけるようにしています。若い頃は二日酔いなんてこともしばしばあったのですけど、最近は二日酔いになるまでは飲まなくなりました。50歳を超えてようやくです。

座右の銘はあるでしょうか?

特に座右の銘はありませんでしたが、先日東北医学会の教授就任記念講演をするときに座右の銘を書く欄がありました。そこの私は「君子豹変す」と書きました。意味がわかりにくい諺ですけど、少し前に何かで取り上げられていて、本来の意味は、自分が間違っていると思ったらスパっと改めなさいという意味なのだそうです。なるほど、実はいい言葉なのだな、と思いました。後から考えてみると、その時の自分の考えは必ずしも最善ではなかった、という事がわかる事は少なからずあります。そういう時に、素直に考えを改める、そういう心がけが自分にとっては大事だと思っています。

岡田 克典 先生インタビューの様子

東北大学医学部の魅力、いいところは何でしょうか。

あくまでも私のイメージなのですけど、東北大学には、周囲に振り回されず自分の信じる道をコツコツと進むという学風が、昔からあるのではないかと思っています。流行に必ずしも乗らないで、自分の興味のあるところ、自分が本当に大切だと思うところを突き詰めていくという良さがあるのではないかと思います。反面、東北大学全体がそうではないと思いますが、私自身や私の教室のメンバーは、ちょっとのんびりし過ぎているところがあるのかな、という事も感じています。私たちは、東京、関西、九州などの人たちに比べると、競争意識が希薄だな、という事を感じる時があります。こんな訳ですので、教室員には、いろいろな中央の臨床試験とか会議とかにもどんどん参加して勉強するようにと言っています。会議になると、本当にケンカみたいに言い合ってお互い切磋琢磨していくということを、東京の人たちは平気でやります。私たちはそういうところが少し足りないかもしれません。マイペースで研究をしていくのはいいことだけど、東北地方という小さなお山の大将にならないように、という自戒をいつも持たなければならないと思います。

教授に就任されての抱負、夢、展望などはなんでしょうか?

ありきたりですけど、肺がんと肺移植の手術症例も増やしていきたい、治療成績も上げていきたい、基礎研究もどんどんやっていきたいと思っています。研究における外科の強みの一つは検体を確保できる事ですから、他分野と積極的に共同研究を行い、検体を科学の発展のために役立てていく努力をしていきたいと思います。組織については、やはり一番大切なのは人ですから、良い人材をたくさん集めて、みんなでやりがいを持って楽しく仕事ができる教室にしていきたいと思っています。メンバーの一人一人が幸せでないと、良い医療の提供も良い研究もできないのは当然です。顧客、つまり患者さんに対して良い組織であると同時に、医局員に対しても良い組織にしていくためにはどのような事をすればよいか、非常に難しいテーマですが、これを考える事が私の仕事ですから、じっくりと取り組んでいきたいと思います。

若手研究者、学生へのメッセージをお願いします。

学生時代には、勉強以外にもいろんな経験をしたらよいと思います。私たちが学生の頃は、勉強は適当にやっていても何とかなりましたけど、今はカリキュラムがきちんと整備され、勉強もかなり大変になっていると思います。しかし、そういう中でも、臨床医になると24時間オンコールの生活になってしまう事が多い訳ですから、学生のうちにしかできないことをやって欲しいと思います。具体的には、自分の体力の限界への挑戦、知力の限界への挑戦、そして仲間との深い触れ合いなどでしょうか。次の日の事を気にしないで済む時に、そのような時期にしかできない事に挑戦してみて欲しいと思います。

岡田 克典 先生インタビューの様子

※所属などは、記事発表当時のものとなっております。

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