沿革
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1736(元文元)年
- 11月1日
- 仙台藩明倫養賢堂設置(仙台市北三番丁細横丁に設置)
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1760(宝暦10)年
- 7月
- 医学教育開始(別所玄李が医学講師に任命される)
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1761(宝暦11)年
- 3月
- 医学教育を一般医にも開放(仙台市勾当台に移転する)
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1817(文化14)年
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1822(文政5)年
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- 仙台藩学校蘭科開設(わが国最初の西洋医学講座を実施)
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1869(明治2)年
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1872(明治5)年
- 5月
- 宮城県立医学所設置,同時に私立共立社病院を開き,附属塾舎を設ける
- 8月
- 宮城県立医学所を廃止
- 9月
- 共立病院附属学舎となる(共立学舎と称する)
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1873(明治6)年
- 3月
- 共立学舎を共立義塾と改称
- 8月
- 共立義塾を解散し,共立病院附属塾舎として教育を続ける
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1879(明治12)年
- 5月
- 共立病院は仙台公立病院となる
- 7月
- 宮城病院と改称して,旧共立病院附属塾舎は宮城病院附属医学校となる
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1880(明治13)年
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1881(明治14)年
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- 宮城医学校を宮城病院附属医学校と改称(県議会の決議により,再び旧名称に復する)
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1882(明治15)年
- 7月
- 宮城病院附属医学校を宮城医学校と改称
宮城病院は宮城医学校附属医院と改称
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1887(明治20)年
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1888(明治21)年
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1890(明治23)年
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1894(明治27)年
- 6月
- 第二高等中学校医学部を第二高等学校医学部と改称
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1901(明治34)年
- 4月1日
- 仙台医学専門学校設置医学科,薬学科併置(第二高等学校から医学部が分離独立)
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1907(明治40)年
- 6月22日
- 東北帝国大学設置の勅令公布
- 9月1日
- 東北帝国大学設置
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1912(明治45)年
- 4月1日
- 仙台医学専門学校は,包摂されて東北帝国大学医学専門部となる
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1913(大正2)年
- 4月1日
- 東北帝国大学医学専門部に附属医院を設置(県立宮城病院を移管)
附属医院看護婦養成所開設(県立宮城病院看護婦養成所を移管)
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1915(大正4)年
- 7月14日
- 東北帝国大学医科大学開設
医学科設置「解剖学3講座,病理学・病理解剖学部1講座,薬物学1講座,生理学2講座,医科学1講座及び細菌学1講座が置かれた。(勅令第115号)」
医学専門部附属医院は医科大学附属医院となる
医学専門部附属医院看護婦養成所は,医科大学附属医院看護婦養成所となる
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1916(大正5)年
- 6月8日
- 病理学・病理解剖学1講座,衛生学1講座,内科学2講座,外科学2講座,産科学・婦人科学1講座及び精神病学1講座が増設された。(勅令第164号)
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1917(大正6)年
- 9月12日
- 内科学1講座,外科学1講座,法医学1講座,小児科学1講座,眼科学1講座,皮膚病学・黴毒学1講座及び耳鼻咽喉科学1講座が増設された。(勅令第137号)
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1918(大正7)年
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1919(大正8)年
- 4月1日
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医科大学は医学部となる(医科大学の医学科は医学部の医学科となる)「解剖学3講座,病理学・病理解剖学2講座,薬物学1講座,生理学2講座,医化学1講座,細菌学1講座,衛生学1講座,内科学3講座,外科学3講座,産科学・婦人科学1講座,精神病学1講座,法医学1講座,小児科学1講座,眼科学1講座,皮膚病学・黴毒学1講座,耳鼻咽喉科学1講座(勅令第16号)」
大学研院設置
医学研究科設置
医科大学附属医院は医学部附属医院となる
医学部附属医院産婆養成所開設
- 6月12日
- 医学部附属医院産婆養成所設置(法令化される)