interview02

  • 医学科2年
  • 戸田 愛香 さん

  • 医学科
    微生物学分野
  • 押谷 仁 教授

  • 医学科3年
  • 大友 英二 さん

※肩書、役職は取材当時のものです。

微生物学分野で学べることやその特徴を教えてください。

微生物というのは細菌やウイルス、真菌などいろいろあるのですが、私たちは基本的にはウイルスの感染症の研究を中心に行っています。呼吸器のウイルスや下痢症のウイルス、特にRSウイルスやノロウイルス、サポウイルスというのを研究対象としていて、フィリピンやザンビアなどの途上国にある感染症を、そのような国の問題を理解するためにどんなことができるのかという視点で研究をしています。フィールド研究に近いですね。COVID-19の流行の前には毎月フィリピンに行って、研究をしていました。基礎医学修練(※1)で参加する学生にはそれぞれテーマを選んでもらい、単に基礎研究をするだけではなく、どんな背景でサンプルが採られているのかということから考えて研究をしてもらいます。

医学部医学科の講義では微生物学の全体を教えています。基礎的なことはもちろんですが、医師を目指している学生への講義なので、それぞれの微生物がどんな病気をおこすのか、どういうメカニズムで病気をおこすのか、それに対してどんな対策があるのか、どんな治療があるのか、ということを含めてトータルに講義しています。

先生が微生物学分野をご自身の専門にされようと思ったきっかけはありますか?

私はもともと人類学とかに興味があって、フィールド研究をしたいと思っていて、医学でフィールド研究の仕事をするにはどうしたらいいのか、悩んでいました。そういった時に、ある人の紹介で、当時、東北大学の学長だった石田名香雄先生(※2)、とお話する機会をいただきました。そこで、自分は途上国などでフィールドの研究というか仕事がしたい、だけどどうしたらよいかよくわからないというお話をしたんです。その時に、当時、国立仙台病院(現、仙台医療センター)にウイルスセンターがあって、創始者の沼崎義夫先生という方がいたのですが、そこはどうだろうかとご紹介いただきました。石田先生と沼崎先生は一緒にウイルスの研究をしていたんですね。卒業後、国立仙台病院で小児科医として2年働き、そのあと沼崎先生のセンターで臨床ウイルス学の勉強をしました。ある日、沼崎先生に「ああ、押谷君、ちょっとザンビアに行かない?」と言われて。それでザンビアに行くことになりました。その当時ザンビアにはウイルスを検査できる場所がなかったのです。80年代の終わりから90年代の初めのアフリカではHIVが大きな問題になっていましたが、当時は治療法もなく非常に多くの人が亡くなりました。そのような状況でウイルスを検査したり研究する場所が必要だったんです。JICAがウイルス検査室を作るというプロジェクトをスタートして、3年間でなんとかラボを立ち上げ、日本に帰ってきて、東北大学で博士号(Ph.D.)をとりました。また、ザンビアの経験から、公衆衛生学を学ばないといけないと考え、アメリカに渡り公衆衛生学修士(M.P.H.)もとりました。

その後、縁があって、新潟大学でロタウイルスの研究をしていた公衆衛生学の鈴木宏先生のところに行って、鈴木先生の紹介でフィリピンにあるWHOの西太平洋地域事務局に行くことになりました。西太平洋事務局はアジア・太平洋の37の国と地域を管轄しているのですが、その地域では90年代後半から立て続けに世界中で問題になるような感染症が起こっていました。そこでは新興感染症を含めた感染症の対応をしました。そろそろ日本に帰ろうかなと思っていたのですが、まだやり残したことがあるのではないかと任期を1年伸ばしたところ、2003年2月にSARSへの対応がはじまりました。それからは目まぐるしい忙しさで、はじめは自分で中国やベトナムなどに行って対応しました。2003年末には高病原性鳥インフルエンザの問題が始まって、オフィスの規模もどんどん大きくなり、自分の役割も変わってきたところで、当時東北大学の免疫学の教授だった菅村和夫先生からご連絡をいただき、2005年に東北大学に戻ることにしました。それから微生物学分野の教室を作り上げて2008年ころからフィリピンでの研究をはじめて、フィールド研究を続けています。

学生時代は大学で研究をしようと決めていたわけではないですが、東北大学の先生方はほんとうに面倒見がよくて、色々なご縁がつながって今に至っています。

いろいろな人とのご縁がつながって、ということですが、特に感謝されている方はいますか?

そうですね。この道は石田名香雄先生がいなかったらなかったと思います。石田先生は当時、大学の学長だったにも関わらずよく学部の学生にそんな時間を作ってくれたと思います。

また、沼崎義夫先生のもとでウイルスについて専門的に学び始めたので、お二人がいなければ今の私はないですね。

先生は学生時代、フィールド研究に憧れていたということですが、どのような子供時代を過ごしましたか?

小学生の時から、読書が好きでした。シートン動物記、戸川幸夫動物全集は全部読みましたね。中学生になってからは冒険ものを読みました。世界探検のシリーズ本があって、チベットの探検とか、面白かったです。高校生になってからは探検記ですね。梅棹忠夫や本多勝一など山岳部に所属していた方が書いている本をよく読んでいました。私も山登りをはじめて、海外の見知らぬ場所にとても興味を持ちましたね。フィールド研究に憧れたきっかけです。

将来、医学研究者を目指している受験生も多くいると思います。研究者に必要なことや大切なことはありますか?

医師や研究者になるうえで他の分野のことを知ることはとても大事です。専門以外のことを知って、知見を広げてほしいですね。今は医学に関しても学ぶべきことがとても増えてきて、学生たちは勉強に忙しくて、なかなか他の時間がとれないと思うのですが、私たちの時代は少し余裕があったので、良かったです。

あとは、いくら大学の講義で学んでも、それだけでは足りないということが出てきます。COVID-19に関しても、教科書に載るのはすぐではないですよね。毎日状況は変わり、新しい薬が開発され、日々、新たな問題に直面していきます。そのような時の対応力が必要です。学生のうちに新しい情報を吸収して現場に活かしていく力を養ってほしいですね。それは、いろいろな本を読んで、いろいろな人と関わり、理解し、伝える力を身につけることで養われていくと思います。

また、東北大学は総合大学ですから、いろいろな分野のスペシャリストがいます。その強みを活かして、学部の垣根を越えた交流や議論をする中で気づくことがたくさんあります。私も医学部以外で東北大学の他の分野の先生にとてもお世話になっています。例えば文学部宗教学の木村敏明先生には、宗教関連の集まりで起こるクラスターが増えた時に相談にのっていただきました。2020年には、東北大学の多様な研究領域を部局の枠を超えた新たな研究拠点として活かすべく、東北大学感染症共生システムデザイン学際研究重点拠点(SDGS-ID)を立ち上げました。そこでは、さまざまな分野の方と、COVID-19への対応や、さらにはCOVID-19以降の世界の在り方について議論を交わしています。そのような機会をどんどん増やしていきたいです。

いま、COVID-19の影響で感染症に興味を持っている方が多くなっていると思います。医学生が微生物学を学ぶことは医師や研究者にとってどんな意味がありますか?

ワクチンや抗菌薬、抗ウイルス薬が開発された時には感染症は終わったといわれた時代もあったのですが、終わっていませんでした。感染症は人類の歴史がはじまって以来、ずっと最大の問題であり続けています。COVID-19のような新興感染症が次々に出てきて、今後も出てくるということを考えると、感染症というのは重要な医学のコンポーネント(構成要素)であり続けると思います。

今、いろいろな方が感染症に興味を持っているのだけど、それを専門としてやっていこうという人は減っている傾向にあります。COVID-19を経験して感染症の脅威を実感してなのか、それともこんなもんなのかと思ってしまっているのかわからないけれど。今でも、毎日たくさんの人がCOVID-19の影響で亡くなっていますが、日常の感染対策は緩和しています。若い人たちにはこのような問題をしっかりと考える力を持ってほしいですね。

受験勉強などでストレスを貯めている学生もいると思うのですが、先生のストレス解消法はありますか?

そうですね。COVID-19が始まってから、ストレス解消というか息抜きに走ることが多いですね。以前はフルマラソンにも参加したことがあります。本当は山登りをしたいのですが、今はなかなかできませんね。大学の講義もありますが、会議が多くて、1回数時間のオンライン会議が1日に何回か入ることもあります。海外との会議もあるので、夜になることもあって、デスクに座っていることが多く、時間がある時は身体を動かすようにしています。気分転換はとても大事だと思います。

最後に、受験生へのメッセージをお願いします。

今は時代の転換期で、若い人たちはこれから非常に難しい社会に生きていくと思います。これからの社会を生き抜くのに必要なのは想像力だと思います。例えば今もCOVID-19で多くの人が亡くなっていることを考えられる力が必要です。さらに、必ずしも科学技術だけでは解決できない問題がたくさんあり、すでに答えのないさまざまな課題に直面しています。それらに対応していくには、やはり広い知識を持つということが必要です。東北大学は総合大学ですので、多くの分野との関わり、リベラルアーツという形でいろんなことを学ぶことができます。いろいろな価値観がある時代だからこそ、若いときから沢山の人と関わって、人の気持が分かる人になってほしいです。学生のうちにいろいろな経験をして、広い視野を持って、多角的に考えられる人になってほしいと思います。

※1

基礎医学修練
3年次、学生が希望する分野に配属し、月曜日から金曜日のフルタイムで20週間、研究を行います。中には海外の研究機関で基礎医学修練を行う分野もあります。最後には研究の成果を学会形式で報告・討論を行います。

※2

石田名香雄
ウイルス学者。東北大学医学部 細菌学教室 3代教授/医学博士
1946年東北帝国大学医学部卒、1960年東北大学医学部教授。1983年東北大学学長。1987年日本学士院賞を受賞。1996年勲一等瑞宝章を受章。1953年東北大学病院でペニシリンが効かない新生児肺炎が流行したことを発端とし、センダイウイルスを発見。
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After Talk

インタビューを終えて

取材日 2022年12月6日

  • 医学科 2年(取材当時)
  • 戸田 愛香 さん
  • [ 加藤学園暁秀高等学校出身 ]

押谷先生のお話を伺った中で、「医師や研究者にとって、自分の専門以外の分野のことを知ることはとても大切だ」という言葉が特に印象に残りました。私は目先のことで手一杯になってしまいがちなのですが、東北大学というせっかくの恵まれた環境にあってそれは勿体ないことだと感じました。自分の知的好奇心を大切に、もっといろいろなものを見聞きし、学び、知見を広げていきたいと思います。そうして培った「生きた」知識を活かし、臨床と研究の場を繋げるような医師、医学研究者を目指したいです。

  • 医学科 3年(取材当時)
  • 大友 英二 さん
  • [ 東京都立戸山高等学校出身 ]

一学部生が大学教授と接点を持つことは難しいものです。だからこそ、第一線で活躍されている押谷仁先生と直接言葉を交わすことができた今回のインタビューは、私にとって極めて価値のあるものとなりました。先生のダイナミックな人生から現代社会への見解に至るまで、笑顔も交えながら進んだインタビューは、他では得られない、「これから」を生きる指針となる言葉に満ちていました。お忙しい中、多くの学びを与えてくださった押谷先生に深く感謝しますと共に、先生の言葉にもあった「想像力」を持ってコロナ窩の先にある未知も時代に挑もうと思います。

  • 医学科
    微生物学分野
  • 押谷 仁 教授

東京都出身。1987年に東北大学医学部を卒業。国立仙台病院(現、国立病院機構仙台医療センター)を経て1991年よりJICA専門家(ザンビア)、1995年医学博士、1997年テキサス大学公衆衛生修士、1999年WHO西太平洋地域事務局・感染症地域アドバイザー、2005年より現職。フィリピン、モンゴル、インドネシア、カンボジア、ザンビア等のアジア・アフリカを研究フィールドとして感染症研究を行うとともに、国の新型インフルエンザ等対策有識者会議新型コロナウイルス感染症対策分科会の構成員等を務めている。