人と研究

医学への信念をもとに、東北大医学部の歴史を切り拓いた先人たちの足跡をご紹介します。その研究は、現在の本学医学部の研究•臨床の礎になっただけではなく、国際的な視点から見ても、様々な形で今日の医学の発展に貢献しています。一方で、この偉大な研究者たちは、各人が真摯な、あるいは独創的な、味わい深い人となりの持ち主でもありました。

石田 名香雄

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石田 名香雄

Nakao Ishida

東北大学医学部 細菌学教室 3代教授/医学博士
1923年(大正12年) 3月6日生まれ。
1946年(昭和21年) 東北帝国大学医学部卒、1960年(昭和35年) 東北大学医学部教授。1983年(昭和58年) 東北大学学長。1987年(昭和62年) 日本学士院賞を受賞。1996年(平成8年) 勲一等瑞宝章を受章。

免疫学・腫瘍学などの広い分野で世界的な名声

石田名香雄は、1960年(昭和35年)に細菌学教室3代教授に就任したウイルス学者、また第15代目東北大学総長です。かつて加藤陸奥雄第13代東北大学総長は、石田について「頭がきれて、エネルギッシュで、血のめぐりがはやくて、きびしくて、きさくで、茶目っ気が多くて、世話好きで、夢多く多感で、 詩心あり、心優しく情ある人である」と記しています。才気煥発で天賦の才溢れた石田の研究は多岐にわたりました。

世界的に有名な石田の功績は、東北大学病院でペニシリンが効かない新生児肺炎が流行したことを発端とする、1953年(昭和28年)の「センダイウイルス」の発見です。発見地の仙台にちなむこの名は現在も国際的に継承されています。また、センダイウイルスの感染メカニズムについての研究は、研究を引き継いだ本間守男(神戸大学名誉教授)によって精力的に進められました。その後、このウイルスは異種の細胞を融合させる作用が見いだされて各分野の研究者に利用され、中でも細胞遺伝学の発展に大いに寄与しました。
また石田は仙台の土壌から制癌剤抗生物質ネオカルチノスタチンを発見し、その特許をもとに、免疫系の活動を司るインターフェロンの誘起剤、免疫抑制酸性蛋白を発見しています。石田はこれも特許化して仙台微生物研究所を設立しました。研究所は現在、先進のがん治療を推進しています。

「センダイウイルス発見の第1報誌面」 1953[S28]新規のウイルスとしてセンダイウイルスを同定

実に1,130篇もの論文を世に出した石田の研究の系譜は、東北大学におけるウイルス研究の先鞭をつけると共に、細菌学のみならず、免疫学分野および微生物学分野として東北大学に受け継がれています。

学生と共に野球ゲームを楽しむ

石田は野球が大好きで、早朝から教室員を集め朝練を行っていました。その熱心さは、細菌学教室だけではなく医学部全体でスポーツを楽しもうとの考えから、医学部長時代に「石田広場」を作ったことからもうかがわれます。医学部には伝統の各教室対抗野球大会があり、石田はこれにも熱を注ぎました。当時は鈴木二郎が率いる脳神経外科教室チームが隆盛を極めていましたが、三年連続でこれを破ったときは鼻高々だったといいます。

お酒も大好きで、就業時間が終わると毎日のように研究室員とお酒を飲み交わすのを楽しみとしました。また、石田を知る多くの者は、その傑出した人間の大きさを語ります。事実、東北大学の「門戸開放」を地で実践した石田の研究室には、基礎医学にも関わらず常時全国から50~60人もの研究者が在籍しており、その門下生からは、全国で40人以上の教授が誕生しました。様々な思想の学生を受け入れ、 巣立たせた石田は人作りの名人とも言えるでしょう。

闊達とした「野ごころ」

「妙高」「戸隠」「黒姫」などの随筆集のシリーズは、石田が出身地新潟の山々を題名として上梓したものです。石田は非常に筆が立ち、国立大学の試験問題にも使用されるような独特の味わいを持つ文章を書きました。また、言葉づくりが得意で、数々の名言を残しています。
中でも石田が開講20周年の祝いの会で述べた「闘争心と平常心」の語は門下生たちにに深く刻まれています。
「平常心」を養うための存念の持ち方と、前進の力を蓄える「闘争心」。石田は2つの切り替えが大切であり、また「野心のない熱心さは平凡に近い」と残しています。さらに石田は「野心」を「のごころ」と読んで広々した野を前にしたときの心にたとえ、さらにこれを、研究者が感じる、自由かつ自分の学問を何かしら景仰する心と読みときました。

颯爽と前進した石田が現在も活躍を続けているなら、次はバイオベンチャーなどの産業界への貢献に強い興味を抱いたかもしれません。事実、大学退官後は、日本の産官学連携の先駆けとなるインテリジェント・コスモス研究機構を設立し、東北の産業発展にも大きく貢献しました。

昭和59年に第6回国際ウイルス学会が仙台で開催されました。これは仙台で開催された初めての本格的な国際学会で、このために市内の洋式トイレの設置など、仙台市の国際化も進みました。

取材元:本間守男(神戸大学名誉教授),
海老名卓三郎(仙台微生物研究所代表理事)
文責:医学部広報室

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