基礎講座の百年

1915年の勅令第115号によって、解剖学3講座、病理学・病理解剖学部1講座、薬物学1講座、生理学2講座、医科学1講座及び細菌学1講座が設置されました。現在への伝統を受け継ぐ講座の先生がたに、講座の歴史とこれからの展望をうかがいました。

医学と社会の架け橋として

赤池 孝章|医学系研究科環境保健医学分野教授

社会に大きな影響を及ぼしてきた疾病の原因を追求し、その予防研究によって人々の健康の保持増進に貢献してきた環境保健医学分野。五代目教授である赤池孝章教授に、当研究室と先生自身の歩み、今後の社会におけるミッションについて伺いました。

社会とともに変化してきた研究室

環境保健医学分野は、1917年に設置された衛生学講座に源を発します。設置後しばらくは教授が不在でしたが、1927年、細菌学教室の助教授であった近藤正二先生が一代目の教授に就任されました。以来、東北地方に多発する脳卒中の原因探求や全国的に大きな社会問題となった水俣病、水銀の研究などを通し、様々な疾病と環境、ライフスタイルとの関連を調べてきました。また衛生学教室には、仙台市内の小学校の子どもたちの発育、発達、体力の追跡調査を継続して行うという貴重な伝統がありました。このように環境衛生や産業医学、学校保健などにも力を入れていたことから、社会医学系としてより一層、様々な社会問題をカバーしなければいけない、と現在の「環境保健医学分野」に改名されたんです。

オリンピックへの夢が学びの原動力に

実は小さい頃は水泳(競泳)でオリンピックに出るのが夢でした。中学までは県の選抜チームに入っていて、熊本では1番速かったと思います。だから体育系の高校から声がかかったりもしたんですけど、最後のシーズンで体調をくずして記録更新の限界が見えてきましたので、普通の高校(私立の進学校)に入りました。
オリンピックの夢が果たせなかった悔しさと水泳で培った体育会系精神は、学びの分野での大きなエネルギーになりました。水泳一本でやってきたリバウンドか、高校に入ってからは勉強ばかりしていました。その結果、成績はいつも良い方でしたので、元々生物学に興味があったことや、進路指導の先生の勧めもあり、医学部に入りました。高校時代は、寮生活をしていましたが、3年間は寝る間も惜しんで勉強していたので、卒業後しばらくは母校に奇妙なガリ勉伝説が語り継がれていました。

先を見据えた活性酵素研究

医者になって(熊本大学医学部第1内科入局)からはしばらく(7年間)臨床を行い、後に研究者として細菌学の基礎研究に専念するようになりました。研究テーマはいくつか持っていたのですが、その中でも医者になってすぐから始めたのが活性酸素と酸化ストレスの研究です。かれこれ30年近く続けていますね。病気に対する抵抗力や解毒能力を高めるためには、この研究は非常に重要だと思ったんです。しかし、当時は細菌学、微生物学の中でも全く主流ではなかったので、周りからは相手にされませんでした。近年、病原菌だけを排除しても病気は治らないという疾患概念が確立してきたこともあって、酸化ストレスは世界的に最先端研究になっています。根気強く研究を継続してきて、この歳になってやっと、小径から始まった学問が大道・王道を堂々と歩けるまでになってきました。
最近は、酸化ストレス研究を起点としてミトコンドリアのエネルギー代謝の研究も行っています。新たなミトコンドリア呼吸のメカニズムを解明しつつありますので、これからの展開をとても楽しみにしています。

未病の概念を社会へ

現在、環境医学の世界ではエクスポゾームという概念が大きく注目されています。これは、個人が生涯にわたって曝露する環境因子の総量を示します。私たちが一生を通してどのような環境因子に曝露され、それが健康にどのような影響を与えるか、病気の発症要因になり得るのかを長期的に見ていくことが重要なんですね。エクスポゾーム研究は近年話題になっているものですが、環境因子が生体に与えるストレスと、それを生体が制御するシステムを明らかにしていくというのは当研究室の伝統的な研究テーマであると思います。
その中で、我々の研究室のミッションは、病気にならないためにどうしたらよいか、病気を未然に防ぐ「未病」研究を行っていくことです。私たちは病気にならない工夫をすることが大事で、だからこそこれから医者になる医学部の学生さんたちも、患者さんの病気と対峙するだけじゃなく、国民あるいは人類全体で病気をどうコントロールしていくかという高い視点を持ってほしいなと思います。

[ Interview, Text:医科学専攻博士課程 石井 若菜 2016.5]

赤池 孝章

環境保健医学分野教授

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