人と研究

医学への信念をもとに、東北大医学部の歴史を切り拓いた先人たちの足跡をご紹介します。その研究は、現在の本学医学部の研究•臨床の礎になっただけではなく、国際的な視点から見ても、様々な形で今日の医学の発展に貢献しています。一方で、この偉大な研究者たちは、各人が真摯な、あるいは独創的な、味わい深い人となりの持ち主でもありました。

布施 現之助

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布施 現之助

Gennosuke Fuse

東北帝国大学医科大学 第一解剖学教室 初代教授/医学博士
1880年(明治13年) 1月24日生まれ。
1905年(明治38年) 東京帝国大学医科大学卒。1915年(大正4年) 東北帝国大学医科大学教授。1921年(大正10年) 帝国学士院恩賜賞を受賞。

医学部黎明の一翼を担った脳解剖学者

山高帽にステッキを持ち、そのステッキで帽子を押さえて歩く。1915年(大正4年)に設立された第一解剖学教室の初代教授、布施現之助は、退官後も毎日研究室に通うそんな姿が知られています。

布施は黎明期の脳解剖学の第一人者。スイス留学時にC.v.モナコウ教授と製作した『顕微鏡的人脳図譜』は驚異的な精密さをもって世界中で使用される標準図譜となりました。
本学医学部へ招聘された時、布施は2度目のスイス留学中でした。このとき布施は北条時敬総長へ「東北解剖室のよき発達は主任教授たる小生が生命を誓って責任を負うべきもの」との決意を書簡に認めています。

当時、医学部の12講座のうち解剖学は実に3講座を占めていました。布施はもう1名の教授と共にこれを担当。主任教授は全責を負うべきとの覚悟のもと、研究と教育の全てを采配し、これを1987年(昭和62年) の退官まで貫きました。
また、医学部初の学術誌「Arbeiten aus dem Anatomischen Institut der Kaiserlich-Japanischen Universitat zu Sendai」(独語誌)を創刊。これは現・本学医学部学術誌「東北ジャーナル」の前身の1つとなっています。

『Freiheit, Fröhlichkeit, Freundschaft』
(独:自由、明朗、友情)

『Freiheit, Fröhlichkeit, Freundschaft』(独:自由、明朗、友情)

布施といえば、机を叩いて議論するなど妥協を許さぬ峻烈さが伝えられています。確かに門下生には大変厳格で、教室は清潔を旨とし、埃を見ると「君ッ!」と呼びつけ、朝は8時に玄関先に立って遅刻者を叱りました。中には怖くて裏手からそっと入ったという学生の話も残ります。また、「学会とは仕上がった仕事を発表すべき場所。半端なものを持っていくものではない」と、門下生の論文にも厳しく接しました。

かたや布施は医学生全般には優しかったといいます。温かな人柄で広く慕われました。 1936年(昭和11年)、布施は当時の仙台の大店舗「天賞酒造」の天江勘兵衛氏を説いて、市内中島丁に医学部学生寮「昭和舎」を開寮。寮に独語で自由、明朗、友情の意の『Freiheit, Fröhlichkeit, Freundschaft』を掲げさせ、寮生の催事や同好会に出かけて交流しました。
1945年(昭和20年)の終戦時のこと。戦時統制下から一転し、自由になった世相の中で医学生らが演劇を公演した時、幕が降りると客席からすっと舞台に来て学生の両手を強く握りしめ、情熱的な様子でねぎらった老紳士がいました。これが布施だったといいます。

侠気をもって若手を慈しんだ布施の門下生からは、東京大学の小川鼎三氏、北海道大学の児玉作左衛門氏ほか、日本の解剖学会を背負った人物が輩出されています。

肉眼解剖学の時代の最高峰「脳連続切片標本」コレクション

肉眼解剖学の時代の最高峰「脳連続切片標本」コレクション

一方、研究者としての布施は熱心に顕微鏡を覗く姿が伝えられ、生命維持を司る脳幹部の神経伝導路の比較解剖学に力を注ぎました。
残された膨大な脳連続切片標本がその仕事を語ります。
昭和中期の医学部は、アーチの正門の先に噴水のある中庭があり、その東西に細菌学教室、医科学教室など2階建ての建物が軒を連ねていました。解剖学教室は右手側の一番奥。ここにはすでに「布施記念室」があり、広い部屋に天井まである棚が並び、引出しには脳幹を数ミクロンにスライスし染色した顕微鏡用の脳標本がぎっしり納められていました。
標本はほ乳類や単孔類など多岐に渡っています。これらは現在、本学片平キャンパスの標本室にありますが、歴史の中で貴重な一部が海外に流失したのは残念なことです。

しかし肉眼解剖の時代の布施のサンプルは現代の希少な財産です。布施がもし、創設から100年後の医学部に在籍していたら、早速最新の顕微鏡を操り、神経細胞の伝達物質の動態を見つめ、生命の緻密なメカニズムに夢中になっていたかもしれません。

取材元:山本敏行(東北大学名誉教授)
文責:医学部広報室
ポートレート提供:東北大学史料館

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