人と研究

医学への信念をもとに、東北大医学部の歴史を切り拓いた先人たちの足跡をご紹介します。その研究は、現在の本学医学部の研究•臨床の礎になっただけではなく、国際的な視点から見ても、様々な形で今日の医学の発展に貢献しています。一方で、この偉大な研究者たちは、各人が真摯な、あるいは独創的な、味わい深い人となりの持ち主でもありました。

葛西 森夫

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葛西 森夫

Morio Kasai

東北大学医学部 第二外科学教室 3代教授/医学博士
1922年(大正11年) 9月29日生まれ。
1947年(昭和22年) 東北帝国大学医学部卒、1963年(昭和38年) 東北大学医学部教授。1981年(昭和56年) 朝日賞を受賞。

世界中で今も選択される「Kasai Procedure」(葛西術式)

新生児約1万人に1人の割合で発症する「先天性胆道閉鎖症」。新生児の肝臓から十二指腸に繋がる胆道が生まれつき閉鎖しており、放置すると胆汁が肝臓に溜まってしまい死亡する可能性が高い小児難病です。1950年代、これを救う根治治療方法として、葛西森夫が確立した「葛西術式」は、外科を志す医師で知らぬ者はいないでしょう。

世界中で今も選択される「Kasais’ Procedure」(葛西術式)

葛西術式は、肝臓と腸管を直接つなぎ、胆汁を腸に流出させることで病気を治療します。この肝門部空腸吻合術の手法は世界に迎え入れられ、現在も「Kasai Procedure」(葛西術式)と呼び習わされています。
1990年代に入ると胆道閉鎖症の治療は肝臓移植法も普及しましたが、葛西術式はやはり第一選択の治療法となっています。日本国内だけでも葛西術式を受けた乳幼児は少なくとも3500人以上いるといわれ、うち1500人以上が成人しています。葛西は幼い愛娘を原因不明の病で亡くしており、こうしたことも医療へのエネルギーの1つとなったかもしれません。

「大学人は、教育、研究、医療の全てでトップであれ」

創始期の本学医学部の旧第二外科には日本初の小児外科診療研究グループが作られましたが、その系統を継いだ葛西は、創成期の日本の小児外科学を牽引しました。葛西は、ものごとを素直に受け止める「素心」をもって真摯に研究に取り組み「教育、研究、医療の全てでトップであれ」との自負のもと、外科の手法を開拓しました。

そんな乳幼児手術成績の向上は、1984年(昭和59年)に本学に創設された「小児外科学」の研究に貢献。また、胆道閉鎖症の肝門部空腸吻合術後は、胆管炎・肝不全に対して肝移植が必要となることから、1999年(平成11年)に「先進外科学」が創設。これは組織の移植・再建などをメインに、現在の東北大学医学部研究の一角を為しています。

がんの治療においても、葛西は独創的かつ先進的な治療法を編み出しました。特に、食道がんに対する中心静脈及び経腸高カロリー栄養法、周術期管理による有茎空腸再建法の開発は、葛西の本領が発揮されています。有茎空腸再建法とは、食道がんを切除した後、切除した部分に腸の一部(空腸)を移植する治療法です。
がん治療成績の向上については、同じ1999年(平成11年)に「腫瘍外科学」が創設され、特に乳がんに関しては現在の日本を代表する研究の風土を創りました。

こうした葛西の臨床研究は、医学全体にその業績が継承され、朝日賞、デニスブラウンゴールドメダル (英国国際学会最高栄誉賞)、サージャンジェネラルメダリオン(米国保健衛生省賞)ほか多数受賞し、勲二等瑞寶章を受賞しています。

心技体をかねそなえた研究者

臨床現場を離れた葛西は、日本酒を楽しみ、かたや登山にスキーにとスポーツマンの片鱗を見せました。特に登山はプロ級でした。1986年(昭和61年)には東北大学日中友好チベット学術登山隊の隊長として指揮を執り、中国青蔵高原の最高峰ニェンチェンタングラ峰(7,162m)に挑み、強風や降雪といった悪天候で難航しながらも初登頂に成功しています。また、1995年(平成7年)には、シニオルチュー(6,887m)登頂を果たした東北大学艮陵山の会シッキムヒマラヤ遠征隊の学術総隊長を務めました。

もし先生が現代の医学部で研究を続けていたなら、変わらぬ探究心で、未知未踏の領域への挑戦を続けていたでしょう。また、不治の病と言われる「がん」にも、ひと味違った発想で取組んでいたかもしれません。

取材元:大内憲明(東北大学リサーチプロフェッサー、第37代医学系研究科長)
文責:医学部広報室

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